大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

富山地方裁判所 平成4年(ワ)263号 判決

原告

李鍾淑

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

松波淳一

青山嵩

黒田勇

山本直俊

斉藤寿雄

金川治人

山田博

被告

株式会社不二越

右代表者代表取締役

本多正道

右訴訟代理人弁護士

島崎良夫

太田恒久

石井妙子

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告李鍾淑(以下「原告李」という。)に対し、金五〇〇万一三八六円及び内金一三八六円に対する昭和二〇年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告崔福年(以下「原告崔」という。)に対し、金一〇〇〇万二四七五円及び内金二四七五円に対する昭和二〇年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告は、原告高德煥(以下「原告高」という。)に対し、金五〇〇万一三八六円及び内金一三八六円に対する昭和二〇年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  被告は、原告らに対し、別紙記載の謝罪広告を、別紙記載の条件で以下に掲げる各紙の全国版に各一回掲載する方法により謝罪せよ。

朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、北日本新聞(以上、日本)

東亜日報、朝鮮日報、韓国日報、中央日報(以上、大韓民国)

5  訴訟費用は、被告の負担とする。

6  1ないし3項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  事案の概要

原告らは、第二次世界大戦中に、朝鮮半島から女子勤労挺身隊員(以下「女子挺身隊員」という。)の募集あるいは徴用により来日し、富山市内の被告の工場(以下「被告工場」という。)において労働に従事した。本件は、原告らが、被告に対して、被告工場で就労した間の賃金の支払を請求するとともに、右の労働は、劣悪な環境下での強制労働であり、労働時間以外でも常に監視され、行動の自由が制限されたことなどを根拠に、精神的及び財産的損害の賠償並びに謝罪広告の掲載を請求したものである。

第三  当事者の主張

一  前提となる事実関係

1  原告らの主張

(一) 原告李に関する事実経過

(1) 原告李は、朝鮮半島において、西暦一九三一年(昭和六年)一〇月二九日に生まれ(以下、年の表示については、西暦の表記は省略し、元号による。)、昭和一五年に牧田淑子と創氏改名させられた。原告李は、昭和一九年六月中旬頃、韓国ヨンカン国民学校において、被告の女子挺身隊員募集担当者や日本人の役人から「不二越に行けば女学校にも行ける、卒業証書がもらえる。」あるいは、被告のパンフレットを見せられて「ここに行けばタイプライターやミシン、お花が教えてもらえる。」などと言葉巧みに誘われた。その結果、原告李は、右甘言に騙されて、女子挺身隊の募集に応募し、被告で働くこととした。

(2) 原告李は、その二日後、被告従業員二名、官憲一名に引率、監視され、約二五〇名の女子挺身隊員とともに、釜山、下関、東京を経由して、富山の被告工場に連れてこれらた。原告李は、昭和一九年七月六日に、被告に入社し、軍隊的な厳しい訓練を受けた後、精器四課に配属され、小面取りの研磨作業に従事した。原告李の労働時間は、一日九時間ほどで、一週間置きの昼夜二交替制であった。

(3) 原告李が寝泊まりしていた宿舎は、一二畳程度の部屋を襖で二つに仕切った広さで、それぞれに六名ずつが寝泊まりした。原告李は、被告から賃金を支給されたことはなく、一度だけ小遣いを仮払いで受け取ったが、その額は少なく、何も買えなかった。また、原告李は、女学校に通わせてもらえないばかりか、生け花、ミシン、タイプライターなども満足に教えてもらえなかった。

(4) 被告工場での労働は、昭和二〇年七月半ばまで続いた。原告李は、同年七月二〇日頃、被告の業務上の都合により、突然、新潟、清津経由で帰国させられ、その際、被告から、沙理院の工場ができるまでの間、一か月間の自宅待機を命じられた。被告は、その後も、原告李に対し退職処理を通知していない。また、被告は原告李に対し、賃金も全く支払わず、所持品も返していない。

(二) 原告崔に関する事実経過

(1) 原告崔は、朝鮮半島において、昭和五年一二月一日に生まれ、海洲富成と創氏改名させられた。原告崔は、仁川栄花国民学校六年に在学中の昭和一八年五月頃、同校において、被告の従業員から、「金はたくさん稼げる。中学、高校にも通わせてあげる。」などと女子挺身隊員となって被告において働くことを勧誘された。原告崔は、右甘言に騙されて、これに応募した。

(2) 原告崔は、昭和一八年六月に被告に入社し、軸受課に配属され、旋盤の仕事に従事した。原告崔の労働時間は、一日九時間ほどで、一週間置きの昼夜二交替制であった。

(3) 被告における食事は、粗末でいつも不足する状態であり、原告崔は、朝鮮半島の実家から米の粉を送ってもらい、飢えをしのいでいた。原告崔が寝泊まりしていた宿舎は、一〇畳程度の広さの部屋に一〇名が寝泊まりしており、外出は禁止されていた。

原告崔は、被告から、賃金を支給されたことはなく、小遣いももらったことはなかった。原告崔は、賃金の支払を求めて被告の事務所に行ったことがあったが、今後も働いてくれと威圧的に言われて追い返されたことがあり、これ以降は、賃金について尋ねることができる状態ではなかった。

また、原告崔は、学校には行けなかった。

(4) 原告崔は、昭和一九年一一月頃、被告工場で作業中、機械に右手人差指を挟まれ怪我をした。これに対して、被告は、適切な処置を施すことなく、かつ将来婦女子として不具の身になることを知りながら、この指の切断処置をした。

(5) 原告崔は、昭和二〇年七月二〇日頃、被告の業務の都合により、突然、新潟、清津経由で帰国させられ、その際、被告から、沙理院の工場ができるまでの間、一か月間の自宅待機を命じられた。被告は、その後も、原告崔に対し退職処理を通知していない。また、被告は原告崔に対し、賃金も全く支払わず、所持品も返していない。

(三) 原告高に関する事実経過

(1) 原告高は、朝鮮半島において大正一二年五月一〇日に生まれ、高本良作と創氏改名させられた。原告高は、昭和一九年一〇月頃、朝鮮半島にある病院の庶務課に勤務していたが、徴用令書により、被告に強制連行された。

(2) 原告高は、被告の福田中隊と呼ばれる一〇〇名程度のグループに所属させられ、釜山、下関を経て、富山の被告工場に連行された。そして、原告高は、福田中隊において一か月間厳しい訓練や軍事教練を受けた。その後、原告高は、旋盤作業、ベアリングの検査作業に従事し、昭和二〇年になってからは、機械設備の疎開作業に従事し、トラックの運転助手などをした。原告高の労働時間は、一日九時間ほどで、一週間置きの昼夜二交替制であった。

(3) 被告工場においては、休日はなく、外出も許されておらず、自由時間もなく、軍隊的規則的な生活が厳格に行われていた。賃金については、徴用当初、本職工と同じ待遇にするとの話であったが、全く支給されなかった。

昭和二〇年八月一五日の終戦とともに仕事はなくなったが、原告高は、それ以降も福田中隊の規律の下で生活し、帰国を待っていた。原告高は、終戦の日以降も被告と賃金の支払交渉をしたが、賃金は一切支払われなかった。

(4) 原告高は、同年一一月末頃まで被告において就労し、その後帰国した。

2  被告の認否、反論

(一) 原告らが、被告工場において労働した事実は認めるが、その余の事実は知らない。

(二) 被告は、原告らを詐欺的な方法で募集したことや強制連行したことはなく、被告における労働条件、労働・生活環境も過酷であったことはない。戦争末期に法令に基づき全国各地から学徒、女子挺身隊、男子報国隊などが動員され、その中に当時日本国の一部であった朝鮮半島からの人々がいたが、被告が出身地の如何によって処遇を異にしたことはなく、労働・生活環境、就労内容、労働条件などすべて内地の挺身隊員などと同様であった。原告らは、宿舎の状況や食事の内容について非難するが、被告は原告らについて差別的扱いをしたことはなく、戦争末期の状況の中で、原告らを含めた挺身隊員などの処遇にできる限りの配慮をしていた。原告らは、当時日本国全体がおかれていた過酷な状況に目をつむり、現在の労働基準法や生活水準に照らして当時の処遇を非難するものであり、失当である。

二  未払賃金請求関係

1  請求原因

(一) 原告らと被告との法律関係は、私企業と私人間の雇用契約ないし「事実的労働関係」と評価するほかなく、この雇用契約ないし事実的労働関係においては、労働者に賃金請求権が存することは、その契約、法律関係の本質である。

(二) 被告は、女子挺身隊員の募集に際して、待遇は「優遇ス」としていた。また、被告は、原告高に対して、賃金は日本の職工と同じであると約束した。これは、被告が、朝鮮人労働者に賃金を支払うこと及びその賃金額は少なくとも平均額であることを意味するものである。ところで、終戦当時の被告における平均賃金額は、月額九九円であった。したがって、被告は、原告らに対し、条理上その平均額以上の賃金を支払うことを約束していたものである。

しかし、被告は原告らに対し、まったく賃金を支払っていない。

(三) なお、期間の定めのない雇用契約を終了させるには、契約を終了する旨の意思表示が必要であるが、被告は、原告らに対して、契約終了の意思表示をしておらず、とりわけ、原告李及び原告崔に対しては、自宅待機を命じたままである。したがって、原告らと被告との間の雇用契約は、現在も継続しており、原告らは、被告に対して、今日に至るまでの賃金請求権を有している。

そこで、原告らは、本訴において、賃金債権に関する一部請求として、以下のとおりの請求をする。

(四) 原告李は、昭和一九年六月から昭和二〇年七月まで、被告工場の精器四課において就労し、同月二〇日頃、自宅待機を命じられたまま今日に至っている。

よって、原告李は、右の就労期間一四か月分の賃金一三八六円及びこれに対する昭和二〇年八月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(五) 原告崔は、昭和一八年六月から昭和二〇年七月まで、被告工場の軸受課において就労し、同月二〇日頃、自宅待機を命じられたまま今日に至っている。

よって、原告崔は、右の就労期間二五か月分の賃金二四七五円及びこれに対する昭和二〇年八月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(六) 原告高は、昭和一九年一〇月から昭和二〇年一一月末まで、被告工場で労働に従事していた。

よって、原告高は、右の就労期間一四か月分の賃金一三八六円及びこれに対する昭和二〇年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(七) なお、ILO第二九号条約(強制労働ニ関スル条約、以下「二九号条約」という。)一四条一項は、現金による報酬の支払を定めており、右規定は自動執行力を有している。

2  請求原因に対する認否、反論

当時の平均賃金額が月額九九円であったことは否認し、賃金を支払っていないとの主張は争う。原告らは、賃金額が平均賃金と同額であるとする法的根拠について何ら主張していない。

3  抗弁

(一) 弁済

被告は、原告李、原告崔などの女子挺身隊員に対しても、原告高などの徴用工に対しても遅滞なく賃金を支払った。

(二) 弁済供託

厚生省は、昭和二一年一〇月一二日付労発第五七二号厚生省労政局長通達などにより、朝鮮人を雇用した企業に対し未払金その他の供託をするよう通達した。被告は、これらを受けて昭和二二年八月三〇日、原告らに対する未払金について富山司法事務局に供託した(以下「本件供託」という。)。したがって、原告らが、昭和二〇年当時その主張する賃金債権(以下「本件賃金債権」という。)を有していたとしても、それらは右弁済供託により消滅した。

本件供託の供託原因は、受領不能である。すなわち、右供託当時、日本は終戦の混乱期であり、朝鮮においても、アメリカ合衆国及びソビエトの施政下に置かれた混乱の時期であって、日韓の通信、渡航にも支障があり、日本から韓国内に居住するものに賃金を送金し、これを韓国内において受領することなど極めて困難であったから、右供託にかかる債権は事実上受領不能の状態にあった。

なお、原告らの指摘するとおり、本件供託は「退職慰労金不足額」、「国民貯蓄」及び「預金」としてなされたものであるが、原告らは、「預金」分も含めて未払賃金と主張し、請求しているので、被告としては、原告らの右主張を前提に、原告らに対する債務は名目の如何を問わず一切存在しないことを明らかにする趣旨で、弁済供託の抗弁を主張するものである。

(三) 消滅時効

(1) 原告らの本件賃金債権は、遅くとも昭和二〇年末には履行期にあったものである。そして、当時は、労働基準法が制定されていなかったので、賃金債権の時効期間は一年である(民法一七四条一号)ところ、右の履行期より本件訴訟の提起まで一年以上経過しているから、消滅時効が完成している。被告は、この消滅時効を援用する。

(2) なお、賃金債権の消滅時効の起算点は、権利を行使することを得る時であり、その意味は、権利行使につき法律上の障害のないことをいい、債権者の個人的な事実上の障害は、時効の進行を止める理由とはならないし、権利行使をすることができるか否かに関する債権者の認識もまた、時効の進行に影響を与えるものではない。原告らの主張によっても、本件賃金債権は、遅くとも昭和二〇年九月には履行期にあり、その当時、本件賃金債権を行使するにつき法律上の障害は、何ら存在しなかった。

(四) 日韓請求権協定による請求権の消滅

日本と大韓民国との間の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和四〇年一二月一八日条約第二七号。以下、「日韓協定」という。)二条三項には、「一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にある者に対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。」と定められており、右協定を受けて、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国などの財産権に対する措置に関する法律」(昭和四〇年一二月一七日法律第一四四号、以下「本件措置法」という。)が制定された。同法一条は、大韓民国又はその国民の財産権であって、右協定二条三項の財産、権利及び利益に該当するものは、昭和四〇年六月二二日において消滅したものとすると定め、消滅する財産権として、一号に「日本国又はその国民に対する債権」を掲げている。したがって、原告らの賃金請求権は、右協定及びこれを受けて制定された本件措置法により、消滅した。

4  抗弁に対する認否、反論

(一) 抗弁(一)の事実は否認する。

(二) 抗弁(二)の事実は否認し、主張は争う。

被告の主張する弁済供託の抗弁は、「国民貯蓄」、「預金」及び「退職金」についてなされたものであり、原告らが請求している本件賃金債権に対する供託ではないから、主張自体失当である。

また、原告らは、被告の都合によって日本を離れた際にも、自宅待機を命じられた際にも、何ら賃金の受領拒絶はしていなかったのに、被告は、一切弁済の提供をしなかったものであるから、本件供託は供託原因を欠く無効なものであり、加えて、本件供託は本件賃金債権額に著しく不足するなど、債務の本旨に従っておらず、この点からも無効である。

(三) 抗弁(三)の事実のうち、時効期間の起算点に関する事実主張は争う。

(1) 民法の一般原則では、雇用契約に基づく報酬は、雇用関係の終了後に請求できることになっているところ、被告は、原告李及び原告崔に対して自宅待機命令を出したままで、解雇の意思表示は何らされていない。そして、被告は、原告ら三名が平成四年九月二八日に直接被告を訪れ、未払賃金の支払を要請しようとしたのに対して、門前払いによりその要請を拒絶するまでは、何らの意思表示をしていない。したがって、本件賃金債権の消滅時効の起算点は、右同日以降である。

また、雇用契約に基づく報酬請求権は、雇用関係終了後に被用者の請求によって初めて履行期が到来するところ、原告らがその請求をしたのは、右九月二八日である。したがって、本件賃金債権の消滅時効の起算点は、右同日以降である。

(2) 時効の進行は、権利行使が可能となったときから始まる。ところで、原告らの権利行使には、その年齢、連行の経緯、その後の日韓両国間の関係(国交の未回復、日韓協定による解決済み論の存在)、大韓民国と日本との政治体制、法制度の違い、日本において戦争責任に関する真相究明がなされず、事実が隠され続けてきたことなどからして、多大な事実上、法律上の障害があったのであり、権利行使が可能となったのは、日本政府が公式に「個人の請求権は消滅していない。」旨を表明した平成三年八月二七日以降というべきである。

したがって、本件賃金債権の消滅時効の起算日も、右同日以降である。

(四) 抗弁(四)の主張は争う。

日韓条約は、韓国併合に至る一連の条約類が合法有効なものであることを前提としているが、日本の朝鮮半島に対する植民地支配は、違法不当なものであった。また、日韓条約は、大韓民国政府が、「朝鮮半島における唯一の合法的な政府である。」との確認の下に締結されたものであるが、これは、意図的な事実誤認ないし事実否定のもとに締結された不当なものであり、その法的効力は否定されなければならない。この日韓条約を前提とした日韓協定及び本件措置法も締結・制定当時にさかのぼって無効である。さらに、日本の政府及び企業が行った、朝鮮人の強制連行、強制労働という重大な人権侵害に対し、何らの謝罪や補償もなしに条約や法律によってこれを葬り去ることは、正義と人道に対する非道義的な措置であり、国際法上の公序良俗であるユスコーゲンスに違反するもので無効である。加えて、本件措置法は、憲法二九条、一四条に違反し、無効である。

また、日韓協定及び本件措置法の「請求権消滅」の意味するところは、国家として固有に有している外交保護権の放棄にすぎず、個人の請求権そのものを消滅させたものではない。

5  再抗弁(抗弁(三)に対して)

原告らは、日韓協定の存在や国際法上の個人の補償請求権についての法理上の障害、原告らが韓国内に居住しているため、法制度も異なり、事案の真相を解明するにも困難であるという地理的な障害及び本件の被害に起因する経済的困窮から、今日まで訴訟手続をとることができなかったものである。これに対し、被告は、原告らをはじめとする多数の朝鮮人青年男女を強制連行して、劣悪な環境下で酷使し、その人生を狂わせて、今日に至るまで癒しがたい苦痛と犠牲を負わせながら、他方で、これを利用して多大な利益を得て急成長を遂げている。にもかかわらず、被告は、原告らを始めとする朝鮮人強制連行労働者を使い捨てにして放置し、真相を解明せず、何らの補償もすることなく歴史の闇に葬り去ろうとしてきた。加えて、原告らが、平成四年九月二八日、被告を訪問した際に、被告は面会を拒絶し、門前払いをして、原告らの人格を傷つけるといった非人道的対応をした。このような被告の消滅時効の援用は、戦争犯罪及び人道に対する罪が国際法における最も重大な犯罪に属することを理由に採択された「戦争犯罪及び人道に対する罪に対する時効不適用条約」の理念を没却するものであり、著しく正義公平の理念に反し、権利濫用であって許されない。

6  再抗弁に対する認否、反論

(一) 再抗弁の主張は争う。

(二) 仮に、時効の援用が権利濫用として許されない場合があるとしても、それは、債権者が訴え提起その他時効中断の行動に出ることを債務者が妨害し、若しくは妨害する結果となる行為に出た場合、又は債権者と債務者とが近親者など特殊な関係にあるために時効中断の行動に出ることを期待することが酷である場合など、債務者が債権者において時効中断の行動に出なかったことをもって消滅時効を援用することが時効援用権について社会的に許容された限界を逸脱するものと見られる場合でなければならず、単に時効に係る損害賠償請求権の発生要件該当事実が悪質であること、被害法益が重要でかつ被害が甚大であったことは、右時効援用権の濫用の要件を構成しないものと解すべきである。

原告らに何らかの請求権が存在するとして、被告は、その権利行使を直接、間接に妨げる行為をしたことは一切ない。したがって、被告の時効援用が、権利濫用にあたることはない。

なお、原告らは、長年にわたり、被告に対して訴訟外の請求すらしなかったのであって、訴えを提起する意向がありながら、地理的、経済的事情でそれが阻まれたなどの事情はなかったことは明らかである。

三  損害賠償請求及び謝罪広告の掲載請求関係

1  請求原因

(一) 国際人権法違反について

(1) 被告の違法行為

① 第二次世界大戦中、日本国は、自由募集、官斡旋、徴用という方法により、朝鮮人を朝鮮半島から日本本土に連行し、日本本土内の工場などで働かせ(以下「強制連行」という。)、被告は、これらに深く関与した。

② 原告李及び原告崔に対して行われた自由募集の特徴は、イ、企業の申請に基づいて、朝鮮総督府により募集の地域、募集人員、募集の時期が割り当てられたこと、ロ、集団移入であること、ハ、募集活動そのものは個々の企業により行われていたことの三点である。

被告は、自由募集による強制連行を申請し、被告の責任により、右原告両名の他多数の労働者を連行したものである。さらに被告は、自由募集に際して、募集宣伝活動を活発に行った。被告の右自由募集に際しての勧誘活動は、向学心が旺盛でしかも家庭の事情で進学できない幼い少女に対し、「不二越に行けば女学校に行ける。卒業証書がもらえる」とか「タイプライターやミシン、お花を教えてくれる」、「お金はたくさん稼げる。中学、高校にも通わせてあげる」などと甘言利説を用いて、一三歳ほどの年端も行かない、世情に疎い朝鮮人少女を連行するというものであった。しかし実際は、学校に通うどころか、過酷な労働の毎日であった。

しかも、昭和一八年頃から、戦局は悪化し、被告の募集担当者が述べていたような職場環境を整えることは到底不可能であった。実際に、原告らが被告に就職した後は、休日もない労働の連続であり、かつ、賃金すら支給されない奴隷的労働関係であり、被告の右募集は詐欺的手段によるものであった。

③ 原告高に対して行われた徴用においても、被告は、その前提となる徴用申請を行ったことで主体的に関与しており、また、朝鮮各地の郡役所で朝鮮人を受け取り富山の被告工場まで連行したのは、被告の労務係であった。

④ 原告ら強制連行された朝鮮人労働者と被告との法律関係は、民法上の雇用契約でなければならないはずであり、したがって、被告が、原告ら強制連行により連れられてきた労働者を自己の指揮下で労働に服させるには、右労働者各人の同意が不可欠である。しかし、原告らには、契約の自由すなわち、契約締結、契約内容の決定、変更、契約の解除のいずれの自由もなかった。まさに、強制労働たる所以である。そして、原告ら朝鮮人労働者が被告との契約関係から離脱しようとすれば、逃亡するほかなかった。

⑤ 被告に強制連行された朝鮮人労働者は、そのすべての行動が団体行動として規制され、寮長や舎監などの下で二四時間監視されていた。時間外の外出も許可制であり、行動の自由は全くなかった。

⑥ 被告に強制連行された朝鮮人労働者は、約一か月の「訓練」の後、女子労働者は一週間置きの二交替制の軸受、精器関係などの仕事に、男子労働者は、諸雑用要員、末期には工場疎開要員などとして配置され、使役された。宿舎は、一人当たり畳一畳程度のいわゆるタコ部屋であった。

また、食事は、大豆の絞り糟で、何日かに一度は米と麦の混ぜご飯であった。昼食は、三角パンであった。いずれも、栄養は極めて不足しており、原告李は、ひもじくて芹を取って食べ、被告崔は、家族から米の粉を送ってもらう状態であった。

(2) 右(1)の被告の行為、すなわち、原告らに対する強制連行及び強制労働は、以下の国際法に違反し、国際人権法違反の重大な人権侵害行為である。

① 国際慣習法としての奴隷禁止違反

すでに一九世紀において、パリ平和条約、ロンドン条約、ワシントン条約などの奴隷に関する条約が存在しており、国際連盟は、植民地、委任統治制度下における奴隷制度の問題を重視し、奴隷制度に関する一切の問題を調査するために奴隷臨時委員会を設置し、奴隷制度に類似する一切の苦役を抑制する措置を講ずべきであることの必要性を強調していた。これを受けて国際連合も、昭和三一年に「奴隷制度、奴隷取引並びに奴隷制類似の制度及び慣行の廃止に関する補足条約」を採択した。日本国は、これらの条約を締結していないが、少なくとも奴隷制度禁止は、昭和一三年当時から国際慣習法として確立していたものである。

右補足条約は、第一条において「奴隷制度とは、その者に対して所有権に基づく一切又は全部の権能が行使される個人の地位又は状態をいう。」と定義しているが、これを個人の立場からみれば、奴隷状態又は隷属状態に置かれないことを意味する。

原告らを含む朝鮮人の強制連行、強制労働は、方法の如何を問わず実質的にはすべて強制であった。すなわち、連行にあたっては常に監視付で逃亡できないようにされていたし、連行先では、最もきつく、危険で汚い、しかも長時間の労働を監視下で強要された。逃亡者は、捕まれば凄惨なリンチにあった。

したがって、原告らを含む朝鮮人の強制労働は、奴隷制度であって、これは、国際慣習法としての奴隷制の禁止に該当する。

② 国際公序としての「人道に対する罪」違反

ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例及び極東軍事裁判所条例では、「戦前又は戦時中になされた殺戮、奴隷的酷使、追放その他の非人道的行為(中略)、政治的又は人種的理由による迫害行為」が「人道に対する罪」として国際犯罪になるとされている。前記の原告らを含む朝鮮人の連行による人身の抑圧の内容と実態及びこれによる被害を考えれば、強制連行は「人道に対する罪」に該当することは明らかである。

③ 二九号条約違反

二九号条約は、強制労働を「或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラノ任意ニ申出デタルニアラザル一切ノ労働」と定義するところ、被告に強制連行された朝鮮人労働者は、「徴用」の場合は直接刑罰の威嚇の下に、「自由募集」「官斡旋」の場合は監禁、暴行などの実質的処罰の威嚇をもって、連行、労働させられてきたものであるから、右「強制労働」に該当する。

そして、二九号条約四条一項は、国が私企業に対して強制労働を許可することを禁じ、同条約五条一項は、私企業による強制労働を禁じているが、本件の強制労働は、右各条項に違反する。

また「女子挺身隊」は、女性であることのみで二九号条約一一条に違反している。加えて、被告の強制労働期間は、すべて六〇日を大きく超過しており、二九号条約一二条に違反する。被告は、原告らに、現金による報酬の支払をしておらず、二九号条約一四条一項に違反する。

④ 第二次世界大戦の時期は、軍事インフレーション政策、物資・労働力・資金・機械設備・輸送手段などの動員、企業整備、国家的独占体の結成なとが強力な国家権力を通じて体系的に強化された日本経済の完全な軍事化の過程であった。そして、この下で、各企業は、国家からの集中的な受注、臨時資金調整法・前渡金制・軍需融資指定制・国策金融機関による膨大な資金及び資材・電力などの優先的割当、あるいは徴用令による労働力保証、資金の釘付け、労働者の職場釘付け、婦女子・少年労働者に対する労働時間の無制限延長などによる優遇を受け、急成長と高資本蓄積をなした。原告らを含む朝鮮人の強制連行は、日本国自体の国策として行われたものであり、日本国もその責任を負うものであるが、同時にこの政策は、この政策に深い利害関係を有する被告をはじめとする企業の執拗な突き上げの結果として断行されたものであり、被告その他の企業は、この政策に主体的に関与し、これにより企業は利益を得ているのであるから、被告その他の企業も責任を負うものである。

(3) 国際人権法に違反する重大な人権侵害による損害及び被害の救済方法について

本件のような国際人権法違反の人権侵害や戦争犯罪による被害救済の措置については、その違法性の重大さや被害の甚大さなどに鑑み、以下のとおり原状回復を含む十分な補償と救済がなされるべきであるとの原則が、歴史的・国際的に確立している。

① 世界人権宣言八条は、「すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。」と定めており、国際人権規約B規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)二条三項aは、「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること。」と定めており、また、あらゆる形態の人種差別撤廃に関する宣言においても、「賠償を受ける強制可能な権利」との規定がおかれている。

このように、国際人権法においては、権利を侵害された被害者の補償を受ける権利を定め、さらに、これは「効果的な救済を受ける」ことのできる「強制可能な権利」と定められている。

② 国際連合において、犯罪の被害者に対する補償請求権について、犯罪及び権限濫用の被害のための司法の基本原則宣言が採択されている(昭和六〇年一一月二九日国連総会決議)。この基本原則宣言では、次のように定められている。

a 被害者は、被った被害に対する迅速な救済を受ける権利を有する。

b 被害者は、救済を求める権利について知らされるべきである。

c 犯罪者又は第三者は、被害者、その家族又は被扶養者に対して公正な原状回復を行うべきである。この原状回復には、財産の返還又は被った被害若しくは損失に対する支払、被害を受けた結果生じた支出の償還、サービスの提供及び権利の回復が含まれるべきである。

d 被害者は、必要な物的、医学的、心理学的及び社会的援助及び支援を受けるべきである。

(以下、省略)

これは、戦争犯罪の被害者にも当然に参考となるほか、重大な人権侵害の被害者にも参考となるものである。

③ 国際人権規約B規約の選択議定書に基づいて、規約人権委員会は、権利を侵害された被害者であると主張する個人からの通報に基づき、調査し、違反すると認定した場合は、適当な救済処置を決定し、「見解」を表明してきた。

規約人権委員会は、その「見解」の中で

a 被害者又はその家族に対して補償を支払うこと。

b この補償には、被害者に対してなされた非人道的取扱いによって被害者が被った肉体的及び精神的な傷害及び苦痛についての補償が含まれること。

などに言及するのが常である。

このように、規約人権委員会の見解では、身体に対する傷害や損害のみならず精神的な傷害や損害についても、補償の金額又は性質を決定するための基礎とされてきている。

④ 国際連合の人権小委員会は、重大な人権侵害の被害の救済のための特別報告者として、ファン・ボーベンを任命した。そして、平成五年七月、その最終報告書が提出され、「基本的原則と指針の提案」がなされた。この要旨は、以下のとおりである。

まず、一般原則として

a 国際法の下において、いかなる人権の侵害も、被害者に賠償についての権利を発生させるが、人権及び基本的自由の重大な侵害という概念には、少なくとも次の行為が含まれる。

すなわち、ジェノサイド、奴隷制度及び奴隷制類似の慣行、即決のあるいは恣意的な処刑、拷問、残虐な又は非人道的な処遇又は処罰、強制による失踪、恣意的かつ長期の拘留、国外追放又は強制移動、特に人種や性別に基づく系統的差別である。

b 人権侵害の被害者への賠償は、侵害行為の結果をできる限り除去し、違反を防止することによって、被害者が受けた被害を回復し、被害者に正義を与えることを目的とする。

c 賠償は、被害者の必要や要求に応えるものでなければならず、違反の程度と被害の程度に応じたものでなければならない。これは、原状回復、補償、リハビリテーション、満足、再び繰り返されないことの保証を含んでいる。

d 国際法の下で犯罪を構成する重大な人権侵害に対する賠償には、責任者を訴追し、処罰する義務を含んでおり、免責はこの原則と相容れない。次に、賠償の形態として

a 原状回復は、可能な限り人権侵害がなされる以前の状態を回復するために与えられる。原状回復には、とりわけ、自由、市民権又は在留資格、雇用及び財産の回復を要する。

b 補償は、以下のような人権侵害によってもたらされた金銭によって評価可能な損害に対して与えられる。

・ 肉体的、精神的被害

・ 苦痛、感情的苦悩

・ 教育を含む機会の喪失

・ 収入及び稼働能力の喪失

・ リハビリテーションのための合理的な医療費及びその他の費用

・ 利益の喪失を含む財産及び営業の被害

・ 尊厳や名誉の被害

・ 救済を得るための法的、専門的援助に対する合理的費用、報酬

c 満足と繰り返さないことの保証は、以下のものを含んで与えられなければならない。(抜粋)

・ 事実を公式に認め、責任を引き受けることを含む謝罪

・ 責任のある者を裁判にかけること

手続及び制度として

a 人権侵害に対する効果的な救済手段がとられない間は、時効は適用されない。重大な人権侵害に対する賠償の請求に関しては、時効を適用すべきでない。(その他、省略)

⑤ 以上によれば、国際人権法上、同法に違反する重大な人権侵害による損害及び被害救済のあり方は、次のような原則として捉えられる。

a 人権侵害の被害者への補償は、「効果的な救済」でなければならない。

b 「効果的な救済」には

イ 侵害結果の除去と違反の防止

ロ 真実の開示、公式な謝罪及び責任者の処罰

ハ 可能な限りの原状回復、リハビリテーション、満足及び再び繰り返さないことの保証

ニ 金銭による十分な補償

ホ 被害者の名誉回復など正義の付与

ヘ 迅速な救済

などが含まれる。

c 金銭による補償は、金銭による評価の可能な

イ 肉体的、精神的被害(この中には、精神的傷害すなわち精神的後遺症が含まれる。)

ロ 苦痛、感情的苦悩

ハ 収入及び稼働能力の喪失

ニ 利益の喪失を含む財産及び営業の被害

ホ 尊厳や名誉の被害

などすべての損害に与えられなければならない。

d 国際人権法違反の重大な人権侵害には、時効は適用されない。

右に述べた救済の原則は、国際人権法違反の重大な人権侵害である本件強制連行及び強制労働による原告らの損害と被害救済についても当然に当てはまるから、原告らは、右の国際人権法違反を直接の請求原因とする損害賠償請求権を有する。

(4) 国際法の自動執行力

現行憲法の下では、国際法と国内法の関係は一元論にたつと考えられており、前記条約は、いずれも公布されている(ただし、慣習法はその性質上、公布を必要としない。)から、それらはいずれも国内的効力を有する。

そして、国際法が国内において直接適用が可能かどうかの判断には、形式的受範者の如何や個人の権利創設の有無といった要素は重要ではなく、その条約(国際法)から禁止規範が読みとれるかどうか、すなわち当該条約規定がそれ自体で判決の根拠をなすのに十分明確かどうかが重要である。

そして、以下のとおり、原告らが根拠としている条約及び慣習法には明確性に欠けるところはない。

二九号条約の明確性については、同条約二条で強制労働の定義がなされ、一一条で例外的に許される強制労働の従事者を一八歳以上から四五歳までの強壮な男子とし、一二条で強制労働の期間を六〇日間と限度とし、一三条で報酬や休日について、一四条で賃金の支払方法について、一五条で労働災害補償をそれぞれ規定し、二一条で地下労働の強制を禁じている。さらに、四条で、私企業に強制労働を許可することを禁止している。以上の規定を見ると、二九号条約は極めて明確である。

国際慣習法としての奴隷禁止条約及び人道に対する罪についても、何が奴隷か、隷属状態か、奴隷的酷使その他の非人道的行為かは、これまでの国際法の判断の中で容易に知りうることであるし、ニュールンベルグ裁判や極東裁判の中で、またその後の国連決議においてその内容は明確化されている。

(二) 民法上の不法行為及び債務不履行について

右(一)(1)の被告の行為は、以下の点からも国内法規に違反し、民法上の不法行為及び債務不履行を構成する。

(1) 国内法秩序として効力を有する、①国際慣習法としての奴隷禁止条約、②国際公序としての「人道に対する罪」違反、③二九号条約違反。

これらの国際法は、批准されて又は確立された国際慣習法として国内法秩序を形成しており、不法行為の違法性判断の規範となるものである。そして、前に主張したとおり、被告の行為は、これらに違反することは明白である。

(2) 強制連行当時の国内法である国民勤労報国協力令、女子挺身勤労令違反

国民勤労報国令四条は、一年間に六〇日を越えて労働させる場合には、本人の同意を必要としているが、朝鮮人強制連行労働者は、右の同意を求められることなく一年間に六〇日を越えて強制労働をさせられた。

女子挺身勤労令三条二項は、「国民職業能力申告令による国民登録者以外の女子は志願した場合に限り隊員とすることができる。」としている。原告李及び原告崔などの国民登録がなされていなかった朝鮮人女子挺身隊員は、経済的困窮と勤労意欲に満ちていたが故に、役人、学校関係者、被告従業員らの強引な、説得、欺罔などにより隊員となったものであり、とうてい「志願」したものとはいえない。さらに、同令四条二項は一年を越えての労働には隊員の同意を必要としているが、被告は右同意を得ることなく、原告李及び原告崔に労働を継続させた。

(3) 私法秩序全体に対する違反

以上に述べたところは、私法秩序全体に違反するものである。

(三) 被告の責任と被害救済のあり方

被告による原告らに対する強制連行、強制労働及びその後の無責任な処遇は、原告らの全人格を否定し、その後の人生を根底から覆すに等しい過酷かつ残虐な行為である。これらに対する、国際人権法から導かれる「効果的救済」として、最低限、被告に対して、原告らに対する未払賃金を支払わせることは勿論、原告らの被った肉体的、精神的苦痛、苦悩及びその後の人生を根底から狂わされたことによる精神的、財産的その他あらゆる不利益ないし損失の総体(なお被害、損害は現在も継続している。)を、包括して金銭に評価し、損害賠償金として支払わせることが必要であるとともに、精神的苦痛を慰謝し、人間としての尊厳と名誉を回復させるため謝罪表明をさせるのが必要かつ相当である。

(四) 原告らの損害額

被告の前記国際人権法違反、不法行為及び債務不履行により原告らに生じた損害は以下のとおりである。

(1) 強制連行、強制労働による肉体的及び精神的苦痛、苦難

甘言利説を弄しあるいは有無を言わせない徴用による人狩り的な強制連行及び自由意思の欠如した家畜的労働、賃金も支払わない奴隷的酷使、こうした過酷な強制連行、強制労働を原告李は約一四か月、原告崔は約二五か月、原告高は約一四か月にわたって強いられたことによる肉体的、精神的苦痛、苦難。

(2) 強制労働による身体的傷害を被ったことによる精神的、財産的損害

原告崔は、前記のとおり作業従事中に右手人差指を失う後遺障害を被り、深刻な肉体的、精神的苦痛を受け、得べかりし利益を失った。

(3) 原告らが解放された後、被告は賃金の支払をせず、無責任かつ無慈悲に原告らを遺棄したが、このことによる苦難、苦痛

なお、平成三年度の賃金水準を基に、原告らの未払賃金の現在の価値を算定すると、原告李は二〇〇万円、原告崔は三五〇万円、原告高は三〇〇万円を下ることはない。

(4) これらの違法、不当な強制連行、強制労働などに対し、今日まで何ら責任追及、賠償、謝罪などがなされず放置され続けてきたことによる精神的苦痛

(5) 右(1)ないし(4)により回復困難なほどの精神的傷害(精神的後遺症)を負って、その後の人生を歩まざるを得なかったことによる苦痛、苦難

(6) 女子挺身隊員など強制連行、強制労働を経験した者として、第二次世界大戦後、就職や結婚などの点で著しい社会的差別を受けてきたことによる苦痛、苦難

(7) 朝鮮半島に帰国後、まともな仕事に就けなかったことによる経済的損失

なお、仮に第二次世界大戦後、原告らが被告に勤務し続け、平均的給与の支給を受け続けてきていれば、平成三年当時の賃金水準を基準に、昭和二〇年以降定年に至るまでの全支給額を物価指数、賃金水準を加味して算定すると少なくとも原告李及び原告崔は、合計約五三一六万円、原告高は少なくとも約九三八一万六〇〇〇円の収入を得ることができたと推定できる。

(8) 原告ら本人だけでなく原告らの家族及び親族にも多大の影響を及ぼしたことによる苦痛、苦難

(9) その他、人間的扱いを受けず、人生を根底から狂わされたことによるあらゆる不利益ないし損失

以上によれば、原告らは、強制連行、強制労働という非人間的、奴隷的苦役を体験させられ、今日に至るまで決して癒されることのない重篤な肉体的、精神的傷害を負わされ、かつ金銭では容易に評価し得ないほどの甚大な経済的損失を負わされてきた。その上、原告崔の場合は、強制労働期間が長期であった上、さらに肉体的後遺障害まで負って苦難の人生を歩まざるを得なかった。これらの事情を総合して、原告らの肉体的、精神的、財産的損害の総体を包括して金銭に評価すれば、いかに低く見積もってもその額は、

原告李は、金五〇〇万円

原告崔は、金一〇〇〇万円

原告高は、金五〇〇万円

を下ることはない。

(五) 謝罪広告の掲載

前記のとおり、原告らは、奴隷的な扱いにより労働力の収奪を受け、不要となれば家畜のごとく放逐されたのであり、その名誉を著しく毀損された。その上、原告らは、他民族企業の下で、その国家の侵略戦争遂行の協力を強制されたものであって、原告らの民族的良心を著しく踏みにじられた。

前記のとおり、国際人権法上、人権侵害の被害者への補償は、「効果的な救済」でなければならず、この「効果的な救済」には、「真実の開示と公式の謝罪」など名誉に関することも当然に含まれる。したがって、原告らは、被告に対し、国際人権法に基づき、その毀損、蹂躙された名誉の回復を求める正当な権利を有する。

また、民法七二三条は、名誉を毀損した者に対し、謝罪広告を命じうる旨を規定している。

よって、原告らは、被告に対して、謝罪広告の掲載を求める権利を有する。

なお、原告らが強制連行により被った被害の大きさ、現在においても多くの労働者が所在不明でいるなど真相が明らかになっていない事情及び被告が今後二度とこのような歴史的悲劇を繰り返さない保証としても、日本及び大韓民国の主要全国新聞に謝罪広告を掲載することが必要である。

2  請求原因に対する認否、反論

(一) 請求原因事実は否認し、主張は争う。

(二) 原告らは、精神的損害の他に財産的損害の賠償も求めているが、未払賃金の請求と併せて別途財産的損害の賠償を求めることはできない。

また、謝罪広告は、名誉毀損の場合に限って原状回復処分として命じられるものであり、本件においては、その根拠はない。

(三) 国際人権法の成立についての反論

(1) 日本国が、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」を批准したのは昭和五四年であり、同規約が第二次世界大戦当時の事件に遡及して適用されることはない。

(2) 国際慣習法の成立要件としては、一般慣行と法的確信が必要である。そして、一般慣行は、特定の国家実行の集積により一般性を持つに至った事実的慣行をいい、これが認められるためには、国家実行が反復され、不断かつ均一の慣行となっていることが必要である。また、法的確信とは、国家が国際法上義務的なものとして要求されていると認識して特定の行為を行うことをいう。

原告らの主張する国際慣習法としての奴隷禁止、人道に関する罪についてみると、昭和一八年から二〇年当時、右の要件を備えていなかった。

(四) 条約、国際慣習法の国内の直接適用(自動執行力)についての反論

(1) 国民が、ある条約の国内立法を待たずに当該条約を直接の法的根拠として具体的権利ないし法的地位を主張しうる要件、すなわち条約の自動執行力を認める要件としては、①主観的要件として、条約の作成・実施の過程の事情や国内法体系などに照らして、私人の権利義務を定め、直接に国内裁判所で執行可能な内容にするという条約締結国の意思が確認できること、②客観的要件として、私人の権利義務が明白、確定的、完全かつ詳細に定められていて、その内容を具体化する法令を待つまでもなく、国内的に執行可能な条約規定であること、の二点が必要である。

原告らが損害賠償請求権の根拠としてあげる二九号条約、市民的及び政治的権利に関する国際規約については、右要件が備わっておらず、これらの条約を直接適用することはできない。

(2) 国際慣習法が自動執行力を有するためには、国際慣習法の存在と内容が格段に明確でなければならず、法規範の内容として権利の発生要件及び効果が明確かつ詳細でなければならない。したがって、国際慣習法が直接国民の権利・利益を規律する場合においても、権利の発生、存在及び消滅などの実体的要件や権利行使などについての手続要件、さらに国内における既存の各種の制度との整合など細部にわたり詳密に規定されていない場合には、自動執行力は否定される。

原告ら主張の国際慣習法には、このような権利の発生、存在及び消滅などに関する実体的要件や権利の行使についての手続要件などについて詳密な規定が存在していないから、自動執行力は認められない。

3  抗弁

(一) 国際人権法違反に基づく損害賠償請求権に対して

(1) 消滅時効

現行法制度において、民法一六七条一項は、債権について一〇年の消滅時効の期間を定めており、同規定は、民法一六八条ないし一七四条及びその他の法令で一〇年より短い期間を定めた場合を除く他、すべての債権に適用される。したがって、仮に、国際人権法違反に基づく損害賠償請求権が存在するとしても、一〇年の時効期間により消滅するのであり、原告ら主張の権利侵害の時より既に一〇年以上経過しているから、被告は、この消滅時効を援用する。

(2) 除斥期間の経過

原告らの主張を前提としても、原告らが違法行為と主張する事実からすでに二〇年以上を経過していることは明らかであり、原告らの損害賠償請求権は、除斥期間の経過により消滅した。

(3) 日韓協定による請求権の消滅

前記二3(四)と同様である。

(二) 不法行為に基づく損害賠償請求権に対して

(1) 消滅時効

不法行為に基づく損害賠償請求権は、損害及び加害者を知ったときより三年で消滅時効にかかる。原告らの主張によれば、昭和一八ないし二〇年当時の被告の募集、採用行為、労働条件、その他の処遇について不法行為を主張しているから、この当時、原告らにとって、損害及び加害者は明らかであったのであり、原告らが損害及び加害者を知ってから三年が経過していることは明らかである。よって、右請求権の消滅時効は完成しており、被告は、これを援用する。

(2) 除斥期間の経過

右(一)(2)と同様である。

(3) 日韓協定による請求権の消滅

前記二3(四)と同様である。

(三) 債務不履行に基づく損害賠償請求権に対して

(1) 消滅時効

債務不履行に基づく損害賠償請求権は、民法一六七条により、債務の履行期から一〇年の期間の経過により、時効消滅するところ、原告らの主張の損害賠償請求権については、本件訴訟の提起までにすでに一〇年以上経過しているから、被告は、右消滅時効を援用する。

(2) 日韓協定による請求権の消滅

前記二3(四)と同様である。

4  抗弁に対する認否、反論

(一) 抗弁事実は否認し、主張は争う。

(二) 国際人権法上の損害賠償請求権については、以下の理由に基づき、原則として時効制度及び除斥期間の適用はない。

(1) 昭和四三年一一月二六日国連総会決議二三九一で採択された「戦争犯罪及び人道に対する犯罪への法定時効の不適用に関する条約」前文には、戦争犯罪人及び人道に対する罪にとって時効は存在しないという原則及びその理由が明確に述べられており、同条約一条は、戦争犯罪及び人道に対する罪に対しては、その犯行の時期に関わりなく時効は適用されないと規定している。戦争犯罪と人道に対する罪の処罰の下にある基本理念は、時効とは無関係にこれらの処罰なくして正義は達成し得ないという思想である。この思想に見られるように、国際社会は、時効不適用条約やその他の国際文書・規則・合意を通じて、重大な人権侵害においては時効はないとの原則(国際慣習法)を既に確立しており、この慣習法は、戦争犯罪と人道に対する罪を根拠としてなされる民事上の補償等請求権の時効についても当然適用される。

(2) 前記国連特別報告者ファン・ボーベン作成の第二次中間報告書付属文書は、重大な人権侵害の被害者の補償等請求権については、原則として時効などの期間制限を認めておらず、最終報告書においても「原則として重大な人権侵害の賠償に関する請求には、時効は適用されない。」と述べられており、国際法の常識からしても、時効により責任が消滅したとの主張は承認されない。

(三) 消滅時効の主張について

(1) 原告らは、強制連行、強制労働という非人間的、奴隷的苦役を体験させられ、かつ今日に至るまで決して癒されることのない重篤な肉体的、精神的傷害を負わされたまま生きてきており、現在もその苦難の中にいるものであり、原告らの肉体的、精神的後遺症は、現在も継続しており、未だ固定しているとはいえず、そもそも不法行為の消滅時効は進行を開始していない。

(2) 仮に、損害賠償請求権の消滅時効の進行が開始しているとしても、その起算日は、次の理由から平成三年八月二七日と解するべきである。

時効期間の起算点である「損害及び加害者を知ったとき」とは、被害者において、事実上加害者に対して損害賠償請求権の行使が可能な程度に加害者による不法行為の内容と損害及びこの両者の因果関係を知ったときと解すべきである。これを、戦争及び人道に対する罪を根拠とする本件損害賠償請求についてみると、国際法上の個人の補償請求権が実体法上あると広く認識されるに至ったのはごく最近のことであり、また各国間の賠償協定で解決済みであるとの議論が存在したこと、原告らは、日本とは法制度、政治体制も異なる外国に居住していること、日本において戦争犯罪の追及、真相究明がなされず、事実が隠され続けてきたことに照らし、原告らは、近時に至るまで損害賠償請求権の行使が事実上可能といえる状況になかったことが明らかである。被告に対する損害賠償請求が可能であることが原告らに認識可能となったのは、平成三年八月二七日に日本政府が「個人の請求権は消滅していない。」旨を公式に表明した時点である。

(四) 除斥期間の主張について

民法上、除斥期間の起算点は「不法行為の時」と規定されているが、これは、加害行為時に限定されるべきではなく、損害が発生し、かつそれが客観的にも賠償可能な状態、すなわち権利行使が現実的、具体的に可能な状態に至ったときと解すべきである。

本件では、前記のとおり、原告らの肉体的、精神的後遺症は現在も継続しており、そもそも除斥期間の起算点は未だ到来しておらず、仮に到来しているとしても、それは、前記のとおり原告らの権利行使が現実的、具体的に可能となった時点、すなわち、日本政府が公式に「個人の請求権は消滅していない。」と表明した平成三年八月二七日の時点以降である。

5  再抗弁

(一) 消滅時効の主張(抗弁(一)ないし(三)の各(1))に対して

前記二5と同様である。

(二) 除斥期間の主張(抗弁(一)(二)の各(2))に対して

除斥期間についても、民法一条との関係で権利濫用、信義則違反の法理の適用がある。本件においては、これまで主張してきたとおり、原告らのおかれた客観的状況からしてその権利行使は全くといってよいほど期待できない状況にあったこと、これに対し除斥期間の経過によって利益を受けるべき被告は、原告らの犠牲の上で莫大な利益を上げた上、戦後もその補償などに一切の誠意を示さないで理不尽な態度に終始してきた事実に照らせば、本件において除斥期間の経過を主張することは、著しく信義に反し、権利の濫用に該当する。

6  再抗弁に対する認否、反論

(一) すべて争う。

(二) 時効の援用が権利濫用にあたるとの主張に対する反論は、前記二6(二)と同様である。

(三) 除斥期間の主張が権利濫用に当たるとの主張に対する反論

除斥期間は、法が予め定めた権利の存続期間であって、期間の経過により当然に権利消滅の効果が生じるものであり、当事者の援用の有無に関わらない。すなわち、当事者が援用しなくても、裁判所は権利消滅の判断をすることになるのであるから、当事者の主張に関して信義則違反あるいは権利濫用を検討する余地はない。

第四  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一  前提となる事実経過

一  原告李について

前記争いのない事実、甲一、四、六、七の1ないし3、一一、一六、乙四の1、3、五の1、4、二四の1ないし4、及び原告李本人尋問の結果によれば、以下の各事実が認められる。

1  被告工場に来るまでの経緯

原告李は、昭和六年(一九三一年)一〇月二九日に朝鮮半島(京城府)で生まれ、昭和一五年、牧田淑子と創氏改名させられた。原告李は、昭和一九年三月二五日、京城の昌信国民学校を卒業した。原告李は、国民学校を卒業後、夜間中学に通う傍ら、伯父の家で子守をしていた。

同年六月末ころ、町会長が原告李の下に来て、勉強を続けようとするならばヨンカン国民学校に行けと言った。そこで、原告李は、ヨンカン国民学校に行ったところ、そこに六人ほどの少女が集まっていた。また、そこには被告の腕章をした被告の従業員がおり、この者が、原告李らその場に集った少女に対して、写真の入った被告のパンフレットを示して、「被告のところで働けば、女学校に通え、そこを卒業でき、お金もたくさんもらえ、タイプライター、ミシン、お花が習える。」と説明し、女子挺身隊員となることを勧誘した。そして、被告の右従業員は、原告李らに対し、明日光華門に集るよう指示し、もし明日集合場所に来なければ、配給通帳が終わると言った。

そこで、原告李は、翌日母親にも相談せず、光華門の集合場所に行った。そこには、約二〇〇名の子供が集まっており、その他に、被告の従業員が約三名と憲兵が一人いた。そして、原告李らは、その場所から汽車に乗り釜山に向かい、釜山から船で下関に行き、下関から汽車に乗り東京を経由して富山の被告工場に来た。京城から被告工場まで行程は、約五日間であり、同年七月六日、原告李は、被告に入社した。

2  被告工場での労働状況等

原告李は、被告に入社後の約一か月間、軍事教練や団体行動の訓練及び被告の社歌や規則の学習を受けた。その後、原告李は、精器四課に配属され、小面取りという研磨作業に従事した。作業には、日本人の女性六名が指導に当たったが、実際に従事したのは、朝鮮人のみであった。

原告李は、被告の寄宿舎(第一二愛国寮)に住んだ。この寄宿舎には、日本人の管理人(寮長)がいたものの、朝鮮人のみが居住した。原告李は、当初は、約一二畳の広さの部屋に合計一二人で生活し、後にこの部屋を半分に仕切った部屋で、合計六名と一緒に生活した。寄宿舎には、暖房設備はなかった。また貸与された寝具は、かび臭く、原告李は、これをひっくり返して使った。原告李は、外出して帰宅時間が遅れた際に、寄宿舎管理人から殴られたこともあった。

就労時間は、一週間交替の昼夜二交替制であり、日中の勤務のときは、午前六時に起床し、午前七時三〇分頃に労働を開始し、労働を終了し寄宿舎に帰ってくるのは午後六時のときもあったが、夜遅くなるときもあった。また、夜間の就労のときは、午後六時に労働を開始し、午前五時に終了した。就労時間中に、睡眠不足により倒れた朝鮮人や気が狂った朝鮮人もいた。また原告李も、訓練のときに疲れて倒れ、担架で運ばれたことがあった。

食事は、ご飯や汁物、パンなどが出たが、十分ではなく、原告李は、道に生えている芹を食べたり、ミスカルという米の粉を朝鮮の実家から送ってもらい、これを水に溶いて食べたこともあった。

原告李は、被告工場で就労していた間、被告から賃金を受け取ったことはなかった。原告李の年上の同僚が、被告の担当者に賃金の支払について聞きに行ったところ、「そんなことを聞いてどうする。」と叱られた。なお、原告李は、被告から小遣いは少しもらったことはあったが、これははがきと切手が買える程度の金額であった。

また、原告李は、被告の下では、勉強する機会も、女学校に通うこともなく、生け花、裁縫、タイプも教えてもらうことがなかった。

3  帰国の経緯

被告は、昭和二〇年三月、軍需省の命令により、平壌に近い沙里院に朝鮮工場を設置することとし、同年七月、朝鮮半島からの挺身隊員を中心として従業員五〇〇余名を沙里院に派遣した。右の措置の一環として、原告李は、昭和二〇年七月頃、被告の従業員から、「沙里院に分工場を建てるので、帰国して先輩として後輩を指導しなさい。」と突然言われ、着ている服のまま屋外で点呼を受けた。そして、原告李らは、荷物を持たずに、その日の夜中に汽車に乗り、新潟で船に乗継ぎ、佐渡港に立ち寄って一泊した後、この船は、朝鮮半島の清津港に着き、さらに沙里院に連れて行かれ、公会堂に収容された。この間は、被告の従業員が、五、六名付き添っていた。そして、原告李らは、被告の従業員から、この場所に工場を建てるので、建てるまで家に帰って待てと指示された。その後、原告李らは、京城の京畿道道庁に行き、そこで解散した。

なお、被告の従業員は、原告李らが帰国する際、原告李の荷物を後日船で送ると言ったが、未だにその荷物は、原告李の下に届いていない。また、被告は、その後、原告李に対して、何ら連絡をせず、今日まで連絡をしていない。

4  帰国後の事情

原告李は、帰国後、第二次世界大戦中に女子挺身隊員として日本に行き被告工場で働いていたことを他人に話したことはなかった。これは、李承晩大統領時代には、反日感情が強かったためである。また、原告李は、朝鮮戦争の頃、被告の勤労手帳(甲四)を持っていたため、スパイと疑われ、鉄砲の台尻で頭部を殴られて負傷した。

なお被告は、原告李が帰国後の昭和二二年八月三〇日、原告李を被供託者として、退職慰労金不足額として二円八四銭、国民貯蓄として四八円四一銭、預金として八七円七六銭、合計一三九円一銭を富山司法事務局(当時)に供託した(本件供託)。

二  原告崔について

前記争いのない事実、甲二、五、六、八、一二、一四の1ないし6、一八、乙四の1、2、五の1、3、二四の1ないし4及び原告崔本人尋問の結果によれば、以下の各事実が認められる。

1  被告工場に来るまでの経緯

原告崔は、昭和五年(一九三〇年)一二月一日に朝鮮半島で生まれ、海洲富成と創氏改名させられた。原告崔は、仁川で育ち、仁川栄華国民学校に通学していた。原告崔が、右国民学校六年生の時(昭和一八年)の六月頃、被告の従業員が右国民学校に来て、「日本に来たら、勉強も仕事もでき、上級学校にも行くことができるし、お金も余計稼ぐことができる。また、配給も受けることができる。」と言って、原告崔ら右国民学校の児童に対し、女子挺身隊員として、日本に来て働くことを勧めた。原告崔は、両親に相談したところ、「軍人たちの使い走りをすることになる。」と反対されたが、日本で勉強したいという希望が強く、両親の反対を押し切って、募集に応じることにした。

結局、右国民学校の児童は、八名がこの募集に応じ、仁川市全体では、五〇名が応募した。原告崔は、仁川市役所に集合し、上仁川駅から汽車に乗り釜山まで行き、釜山から船で日本に来た。日本に上陸後は、汽車と、トラックに乗継ぎ、富山の被告工場まで来た。右被告の従業員は、この行程中、原告崔らを引率していた。

2  被告工場での労働状況等

原告崔は、被告での入社式の後、約二週間の訓練を受けた。原告崔は、この後、旋盤作業に従事した。就労時間は、昼夜二交替制で、日中の労働は、午前八時に始まり、午後七時又は八時に終了した。日勤と夜勤は、一週間交替で行われた。就労時間中、空腹のため倒れた同僚がいた。また、日曜日は、休めたが、自由に外出はできなかった。

原告崔は、被告の寄宿舎で生活をした。四畳から六畳程度の広さの部屋で、一〇人が生活した。寝具は、冬でも毛布一枚で、汚なかった。また、寄宿舎には、暖房設備はなかった。原告崔は、朝鮮の両親の元に手紙を書いたが、手紙は、原告崔が発信したものも受信したものもすべて寄宿舎の事務室で点検された。また、すべての手紙が、両親の元に届いたわけではなかった。

原告崔は、被告工場で働いている間、一度も賃金を受け取ったことはなかった。被告で働き始めてから六か月以上たってから、原告崔は、同僚らと共に、数回被告の事務室に賃金を支払ってくれるよう交渉に行った。しかし、これに対して、被告の事務員は、「耐えろ、辛抱しろ、黙っていろ。」と威圧的に言ったのみであった。

原告崔は、日本に来た目的の一つに上級学校に行き勉学をすることであり、被告の従業員に対して、学校に行かせてくれるよう何度も頼んだが、「ちょっと待っていろ。」と言われたのみで、学校に通わせてもらえなかった。

また、原告崔は、同年秋頃、旋盤作業中にローラーに右手の人差指が触れて、その指の爪の横の部分を切り、出血した。原告崔は、病院へ運ばれて治療を受けたが、その際、右手の人差指の第二関節から上を切断された。原告崔は、この後一週間寄宿舎で休んだが、その後は、被告の指示で従前どおり勤務した。

食事は、昼食はおにぎりやパンで、寄宿舎での食事は、大豆と麦と少量の米を一緒に炊いたものと大根又は大豆の味噌汁が出たが非常に粗末なもので、原告崔は、常に空腹感を感じていた。そして、原告崔は、実家から送ってもらったミスカルや、地面に落ちていた柿や芹、よもぎを食べてひもじさをしのいだこともあった。

3  帰国の経緯

原告崔は、昭和二〇年七月頃、夜寝ているときに突然起こされ、働いていた仲間と一緒にトラックに乗せられ新潟港に行き、そこから船に乗った。その際、原告崔は、荷物を何も持たずに行った。右の船で、朝鮮半島に着き、沙里院に連れて行かれた。その後、原告崔は、京城を経由して故郷の仁川まで行った。付き添ってきた被告の従業員は、原告崔に対し、沙里院に被告の工場を建設し、原告崔をこの工場の指導員にするので、それまで自宅に待機するよう命じた。その後、被告は、原告崔に対して何ら連絡せず、今日まで連絡をしていない。

4  帰国後の事情

終戦後、原告崔は、一八歳のときに二〇歳ほど年上の人と結婚したが、その後夫と死別した。二〇歳年上の男性と結婚したのは、挺身隊に行った女性は結婚が困難であったためである。原告崔は、その後再婚したが、生活は苦しいうえに、再度、夫と死別し、原告崔は、行商をして子供を育てた。その後、原告崔は、栄養失調のため視力が衰えた。

なお被告は、原告崔が帰国後の昭和二二年八月三〇日、原告崔を被供託者として、退職慰労金不足額として二円八四銭、国民貯蓄として五九円五九銭、預金として一〇七円二銭、合計一六九円四五銭を富山司法事務局(当時)に供託した(本件供託)。

三  原告高について

前記争いのない事実、甲三、九の1ないし3、一三及び原告高本人尋問の結果によれば、以下の各事実が認められる。

1  被告工場に来るまでの経緯

原告高は、大正一二年(一九二三年)五月一〇日朝鮮半島で生まれ、昭和一五年、高本良作と創氏改名させられた。原告高は、昭和一一年三月ミッション系の普信学校を卒業し、その後、早稲田大学通信中学講義録を取り寄せ三年間独習した。原告高は、一九歳のときから城津の鉄道病院の庶務課に勤務した。

原告高は、昭和一九年一〇月頃、行政当局から二年間被告で働くべき旨の徴用令書を受けとった。この時、原告高は、父母、妻、子供の五人家族であった。

そこで、原告高は、府庁に集まり、徴用を受けた他の人達(約一〇〇名)と一緒に警察署長から訓示を受けた。またこの時、被告の従業員の福田某は、原告高ら徴用を受けた者に対し、被告工場では、日本人と同じように待遇する旨を話した。そして、原告高らは、福田に引率され、釜山から下関を経由して、富山の被告工場に連れて来られた。

2  被告工場での労働状況

原告は、同年一〇月下旬頃富山に来て、被告に入社した。そこでは、右福田を隊長とする福田中隊と称する中隊が編成されており、原告高は、被告に入社後ここに配属された。そして、原告高は、一か月ほど軍事教練、団体行動などの訓練や、精神訓練、生活訓練などを受けた。

右訓練終了後、原告高は、旋盤作業やベアリングの検査作業に従事した。原告高は、昭和二〇年には、トラックの運転助手の仕事に配置換えされた。就労時間は、午前八時に始まり、午後六時頃まで続いた。

原告高は、被告工場では寄宿舎で生活をした。そこでは、一部屋に八人ないし一〇人が寝泊まりをし、就寝前には点呼を受け、原則として自由な外出はできず、個人的な行動は不可能であった。また、寄宿舎には、暖房設備はなかった。

原告高は、来日する前日本人と同じ賃金が支給されると聞いていたが、被告工場で就労していた間、被告から賃金を受け取ったことはなく、むしろ、賃金の話を被告に対して持ち出せるような雰囲気ではなかったので、賃金の支払を求める申出をしたことはなかった。

原告高らは、昭和二〇年八月一五日の終戦後も、同年一〇月下旬頃まで運輸の部所で待機し、指示を待ち、指示があれば、それにしたがって労働した。

3  帰国の経緯等

昭和二〇年一〇月下旬又は一一月頃、原告高は、被告から指示されて帰国することになった。そして、原告高らは、鉄道を使い、鉄道が寸断されているところは徒歩で、博多まで行った。この行程には、被告の分隊長が同行した。

原告高らは、帰国するに際して、小隊長(被告の従業員)に賃金の支払を請求したが、支払ってもらえなかった。

原告高は、博多から釜山まで船で行き、帰国した。原告高は、帰国後一旦は、城津府(ここは、現在の朝鮮民主主義人民共和国内にある。)で両親らと一緒に生活したが、昭和二二年七月頃、大韓民国に移り、その後、神学大学を卒業し、現在牧師をしている。

四  日韓関係等について

以下の事実は、甲一九、弁論の全趣旨及び公知の事実により認められる。

1  朝鮮は、明治四三年に締結された日韓併合条約により日本国の統治下にあったが、昭和二〇年八月一五日、第二次世界大戦が終結すると同時に独立した。そして、この時以降、日本と朝鮮の間の国交は絶たれた。

2  一九四八年(昭和二三年)、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が成立した。

3  昭和四〇年、日韓条約が締結され、日本と大韓民国との間の国交が回復した。この条約締結と同時に、日韓の戦後処理を目的とする日韓協定が締結された。そして、日本国は、日韓協定を受けて本件措置法を制定した。

4  日本国政府は、平成三年八月二七日、「日韓協定は、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということで、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない。日韓両国間で、政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないという意味である。」旨の見解を公式に明らかにした。

五  原告らが、本件訴訟を提起するに至った経過

甲一七、原告李、同高の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

原告李及び原告高は、平成四年(一九九二年)一月一五日、大韓民国で発刊されている京響新聞で、日韓協定で日本と大韓民国間の国家間の賠償問題は解決されたが、個人が日本法により損害賠償することはできる旨の記事を読んだ。そこで、原告高は、太平洋戦争韓国犠牲者遺族会長と会い、賠償請求しようと考えるようになった。また原告李も、右記事を読み、太平洋戦争韓国犠牲者遺族会に加入し、本件の他の原告らと知り合った。そして、三名の原告は、平成四年九月二七日に来日し、女子挺身隊員あるいは徴用工として働いた場所を見て、被告の責任者と会談する目的で富山の被告工場を訪問したが、門前払いされ、原告ら三名は、同年九月三〇日、本件訴訟を提起した。

第二  賃金請求について

一  雇用関係の成立及び賃金額について

1  原告李及び原告崔について

原告李及び原告崔は、被告の募集に応じて被告工場で稼働したものであることは、前記判示のとおりである。したがって、右両名と被告との間の法律関係は、雇用契約と認められる。また、前記判示によれば、被告は、右募集の際、原告李及び原告崔に対して、被告工場で働くにあたっては賃金を支払うことを約束したものと認められる。そして、被告は、賃金については、具体的金額を明示せず、「優遇する」と約したものと認められる(前記第一記載の事実関係及び甲一四の1ないし6)。この「優遇する」の意味は、被告の社内規定に従い、他の一般従業員と同等の賃金を支払うことを約したものと解釈するほかない。ところで、昭和二〇年八月当時の被告における平均賃金は、月額九九円であったと認められる(甲二〇、弁論の全趣旨)。

よって、被告は、原告李及び原告崔に対して、雇用契約に基づき、前記第一で判示した就労に対応して、月額九九円の賃金の支払義務を負っていたものというべきである。

2  原告高について

原告高は、被告工場で働くべき旨の徴用令書に基づき被告工場で稼働するようになったものであることは前記判示のとおりである。したがって、原告高は、自らの意思に基づき被告で働きだしたものではないから、原告高には雇傭契約締結の意思表示は存在せず、原告高と被告との間に雇用契約が成立したと理解することはできない。しかし、被告は、原告高に対して賃金を支払うことを約したことは前記判示のとおりであり、原告高は、これに対応して労働力を被告に供給したのであるから、両者間の実態は、雇用関係そのものである。よって、両者間の法律関係には、雇用契約の規定を類推適用するのが相当である。

ところで、前記第一に判示した事実関係によれば、被告は、前記徴用に際して、原告高に対し「日本人と同じように待遇する。」旨約束したものであり、その意味は、他の一般従業員と同等の賃金を支払うことを約したものと解釈するのが相当である。そうすると、右1と同様、被告は、原告高に対し、前記就労に対応して、月額九九円の賃金の支払義務を負っていたものというべきである。

二  弁済の抗弁について

1  被告は、原告らに対し遅滞なく賃金を支払った旨主張するが、乙二五によってはその主張を認めるには足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

却って、前記第一の一ないし三に掲記した各証拠によれば、原告らは、いずれも被告から賃金を全く受け取っていないものと認められ、これを左右する証拠はない。

2  もっとも、原告李の勤労手帳には預金額八七円七六銭との記載があり、また、被告は、昭和二二年八月三〇日、原告李に対し、国民貯蓄として四八円四一銭、預金として八七円七六銭、原告崔に対し、国民貯蓄として五九円五九銭、預金として一〇七円二銭をそれぞれ供託したことが認められるけれども(甲四)、右の預金ないし国民貯蓄名義の金員が、一旦原告らに交付されたとか、あるいは、原告らの意思に基づき預け入れられたとかの事実を窺うに足りる証拠はなにもないから、右の勤労手帳の記載及び供託の事実は、何ら前記1の認定、判断を左右するものではない。

3  したがって、被告の弁済の抗弁は失当である。

三  弁済供託の抗弁について

被告も自認するとおり、本件供託は、「退職慰労金不足額」、「国民貯蓄」及び「預金」として供託されたものであって、本件賃金債権についてなされたものでないから、原告らの本件賃金債権請求に対する有効な抗弁となりえず、主張自体失当である。

四  時効の抗弁について

1(一)  前記判示したように、原告らは、被告に対して月額九九円の賃金債権(本件賃金債権)を有しており、このことに、当時施行されていた工場法施行令二二条には「賃金ハ毎月一回以上之ヲ支払フベシ」と規定されていたこと、民法六二四条二項の規定、及び、昭和二〇年当時、被告においては月給制で賃金が支給されていたこと(甲二〇)をあわせ考えると、原告らの右賃金債権の履行期は、遅くとも、原告らが被告において就労していた期間の毎月末日であったと認めるのが相当である。したがって、右賃金債権の消滅時効の期間は一年となる(同一七四条一号)。

(二)  ところで、消滅時効の始期を定めている民法一六六条一項にいう「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」とは、単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上、又は、債権者の個人的事情を越えた客観的、一般的状況に照らして、その権利行使が現実に期待できるものであることが必要であると解するのが相当である。

そこで、これを本件について検討する。

(1) まず、原告らが被告工場で働くようになってから帰国するまでの間についてみると、この間の原告らと被告との関係は既に前記第一において詳しく判示したとおりであり、このことに、当時の日韓関係、第二次世界大戦の戦局及び日本国内の社会情勢に照らすと、右の間は、原告らが、本件賃金債権を行使することを現実に期待できる状況でなかったというべきである。

(2) 次に、原告らが帰国した後の時期について、検討する。

① 昭和二〇年八月一五日に、終戦となったが、これと同時に、朝鮮は従前の日本の植民地支配を離れ独立し、しかもこの時以降日本と国交のない状態が続いたことは前記判示のとおりである。

② その後、昭和四〇年に、日本国と大韓民国との間で国交が樹立され、同時に日韓協定が締結され、同協定二条三項で、「一方の締結国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締結国の管轄下にある者に対する措置ならびに一方の締結国及びその国民の他方の締結国及びその国民に対する全ての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。」と規定された。これを受けて、日本国は、本件措置法を制定し、その一条で、大韓民国又はその国民の財産権であって、日韓協定二条三項の財産、権利及び利益に該当するものは、昭和四〇年六月二二日において消滅したものとすると定め、消滅する財産権として、同条一号に「日本国又はその国民に対する財産権」が規定された。そして、この当時の日本国政府見解は、日韓協定により日本と韓国との間の請求権問題はすべて解決され、日韓両国及び両国民は、相互に請求権に関するいかなる主張もできず、この請求権の中には朝鮮人労働者に対する賃金も含まれるというものであった。(乙六)

③ 日本国政府は、平成三年八月二七日に至って、日韓協定は、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したもので、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない、日韓両国間で、政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができない意味である旨の見解を公式に明らかにした。(甲一九)

以上①ないし③及び前記第一に判示した経過からすると、平成三年八月二七日に日本国政府の右見解が表明されるまでは、原告らの個人的事情を越え、かつ原告らの関与可能性のない客観的、一般的状況により、原告らが本件賃金債権を行使することは現実に期待しえない状態にあり、右の政府見解の表明された時をもって、右権利行使が現実に期待できることとなったものというべきである。

そうすると、本件賃金債権の消滅時効の起算日は、平成三年八月二八日ということになる。

(三) よって、本件訴訟が提起されたのは、右の起算日から一年以上経過した平成四年九月三〇日であるから、本件賃金債権は、時効により消滅したことになり、消滅時効の抗弁は理由がある。

2  原告らの反論について

原告らは、原告らと被告との雇用契約は期間の定めのないものであることを前提に、消滅時効の起算点である賃金債権の履行期は、雇用契約終了後賃金債権の履行を請求した時点、すなわち平成四年九月二八日以降であると主張する。

確かに、原告らと被告との雇用契約そのものは、期間の定めのないものと認められるが、賃金の支払時期については、前記判示のとおり遅くとも毎月末日と解されることから、原告らの主張は採用できない。

五  権利濫用の再抗弁について

時効の援用が権利濫用として許されないといいうるためには、債権者が債務者の積極的な行動・態度を信頼して時効中断などの措置をとらなかったところ、債務者が時効期間徒過後にこれを覆し時効を援用したとか、債務者が、債権者の時効中断行為を妨害したなど、債務者の一定の行為により債権者が時効中断の措置をとらなかったことがやむを得ないものと評価され、ひいては、債務者の時効の援用が社会的相当性の見地から許容された限界を逸脱したと認められる場合であることが必要である。また、時効援用の権利濫用の判断については、その性質上、時効が進行した後の事情を中心に債務者の行為の社会的相当性からの逸脱を判断すべきであり、時効にかかる請求権の発生原因事実についての債務者の関与形態は、副次的に考慮されるものというべきである。

本件においては、原告らは、被告の消滅時効援用の不当性を述べるにすぎず、被告が原告らの権利行使を妨げたなど、右判示したような社会相当性逸脱行為が被告にあったことについては、何ら主張、立証していないから、原告らの主張は採用できず、再抗弁は理由がない。

六  小括

よって、原告らの賃金請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないといわざるをえない。

第三  国際人権法違反に基づく損害賠償請求及び不法行為に基づく損害賠償請求について

一  除斥期間の抗弁について

1  原告らの主張する国際人権法に基づく損害賠償請求権は、その主張する違法行為によって原告らに生じた損害の賠償を請求する権利であるから、実質的には、不法行為に基づく請求権と本質を同じくするものと評価できる。したがって、その違法行為の行為地は日本であるから、その効力については日本法によることになるものと解される(法例一一条一項)。

2  右に判示したところからすれば、国際人権法違反に基づく損害賠償請求権も、民法上の不法行為に基づく損害賠償請求権と同様、除斥期間の経過による消滅の対象となるものというべきであり、右両請求権とも、発生要件たる行為の時から二〇年の経過をもって除斥期間の満了により消滅することになる。そして、この行為の時とは、継続的な不法行為の場合は、この不法行為を構成する個々の加害行為ごとに検討するのが相当である。

本件の場合、前記認定の事実関係によれば、原告李及び原告崔は昭和二〇年七月に帰国して被告の実質的支配から離脱し、原告高は、遅くとも同年一一月には帰国して被告の実質的支配から離脱したと認められるから、被告の原告らに対する国際人権法違反の行為又は民法上の不法行為を構成する加害行為は、右各時点をもって終了し、遅くとも右各時点には除斥期間の進行が開始したものというべきである。

なお、右加害行為は、当該時点において、即時に原告ら主張のような損害を発生させる性質のものと理解されるから、原告ら主張の如く、その後において後遺症が継続しているとしても、そのことでは、除斥期間の起算点に関する右の判断は左右されない。

3  よって、原告ら主張の前記各損害賠償請求権は、仮にそのような請求権が認められたとしても、原告李及び原告崔については、遅くとも昭和四〇年七月末日までに、原告高については、遅くとも同年一一月末日までに、除斥期間の経過により法律上当然に消滅したものといわざるをえない。

4  なお、民法七二四条後段の規定は、除斥期間を定めたものと解すべきであり、これは、被害者の認識の如何を問わず一定の時の経過によって、当然に法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解される(最高裁判所平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二〇九頁参照)から、加害行為があり、損害が発生して損害賠償請求権が成立した以上、除斥期間は進行を開始し、その後の事情を問わず除斥期間は進行するというべきである。

原告らは、除斥期間の起算点は右各損害賠償請求権の行使が現実的に可能となった平成三年八月二七日以降であると主張するが、右に述べた理由により、採用できないというべきである。

5  また、原告らは、国際人権法違反に基づく損害賠償請求権には、除斥期間の適用はないと主張する。

しかしながら、原告らが右主張の根拠として挙げる戦争犯罪等時効不適用条約は、前記除斥期間の満了による各損害賠償請求権の消滅後に採択されたものであるし、ファン・ボーベンの報告も同様であり、しかも同報告は、あくまでも「提案」の域を出るものではなく、これらは除斥期間の適用がないと解すべき根拠となりうるものではない。また、それらは、昭和二〇年当時に、原告ら主張の国際慣習法が存在していたことを認める根拠とはなりえず、他に昭和二〇年当時に原告らの主張の国際慣習法が成立していたと認めるに足りる証拠はない。

よって、原告らの右主張は採用できない。

二  権利濫用の再抗弁について

除斥期間の趣旨を右のとおり解する以上、除斥期間に関しては、権利濫用の法理を適用する余地はないといわざるをえず(前記最高裁判所判決参照)、再抗弁は理由がない。

三  小括

したがって、原告らの国際人権法違反に基づく損害賠償請求及び不法行為に基づく損害賠償請求については、いずれもその余の点を判断するまでもなく、理由がないものといわざるをえない。

第四  債務不履行に基づく損害賠償請求について

原告らは、損害賠償請求の根拠として、被告の債務不履行を主張するが、この債務不履行の内容となる被告の債務の内容及び具体的な不履行の事実を主張していない。よって、債務不履行に基づく損害賠償請求は、その余の点を判断するまでもなく、失当である。

第五  謝罪広告の掲載請求について

原告らの謝罪広告の掲載請求は、その主張する国際人権法違反又は不法行為に対する救済(名誉回復)として、民法七二三条の適用ないしその準用により求めているものと解されるところ、同条に基づく名誉回復の請求権にも、同法七二四条の除斥期間の規定は当然適用されるものというべきであるから、右謝罪広告掲載請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がないものといわざるをえない。

第六  結論

以上の次第で、原告らの請求は、いずれも理由がないので、棄却する。

(裁判長裁判官渡辺修明 裁判官堀内満 裁判官鳥居俊一)

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例